3Dエ〇ゲーをNVIDIAに送ったら、返事が途絶えた話

3Dエ〇ゲーをNVIDIAに送ったら、返事が途絶えた話

2001年。私は「宇宙へ旅に出る」どころか、机にかじりついて液晶シャッター方式の3Dグラスの商品企画をしていました。
『NVIDIA 3D Vision』で実現しており、この3Dグラスを“推奨デバイス”として認定してもらうため、米国本社のNVIDIAの担当者とメールを重ねていました。

ある日、彼からこう言われます。
「互換性を検証してほしい3Dゲームがあるなら送ってくれ」。
よし来た。私は日本でしか流通してなさそうな、国内メーカーの3D対応ゲームをいくつか見繕い米国へ送りました。

すると返ってきたのは、予想外に前のめりな反応。
「日本のゲーム、もっと送ってくれないか?」
ただ、当時は今ほど3Dゲームが豊富じゃなかった。探しても数が限られる。そこで私は、ある意味“日本らしい最後の手”に出ます。

——3Dのエ〇ゲーを、5本ほど。

念のため確認しました。
「アダルト向けだけど、問題ない?」
返事は軽快でした。
「全然OK!」

発送して、あとは反応を待つだけ。……のはずでした。

ところが、待てど暮らせど、連絡がない。
一週間、二週間。。。
私は不安になっていきます。「法的にまずい物を送ってしまったのか?」「彼の性癖に刺さらず、機嫌を損ねたのか?」。今思えば馬鹿みたいですが当時は真剣でした。認定の話は進んでいたし、相手の反応が途絶えるのは致命的です。

そして約2か月後。ようやく一通のメールが届きます。
そこに書かれていた内容で、私は言葉を失いました。

当時、NVIDIAの開発チームの一部は世界貿易センタービルに入っていました。
そして、私が「例のゲーム」を送ったのは——9月頃だったのです。

そう、2001年9月11日。
沈黙の理由は、私の小包のせいでも、趣味嗜好のすれ違いでもありませんでした。世界が一変する出来事の渦中に彼らはいました。

幸い、やり取りしていた彼本人は無事でした。
ただ、その瞬間から「仕事のメールが返ってこない」ことの意味が、自分の中でまったく違うものになりました。

今でもあの時亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りしています。

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